芝原岳彦の獺祭

一つのテーマについて小説と映画をセットにして語りたいと思います。

さよなら「新海誠」

 明け方に仕事が終わり、家に帰って眠りについた。

 目が覚めると昼過ぎで、いつものように本屋とレンタルビデオショップを回った。

 

 どのレンタルビデオショップも経営は苦しいらしく、商品棚を減らしたり、別の商売を始めたりしている。その中で一番大きなスペースを取って陳列してあるのが、新海誠監督「君の名は。」だ。最近、レンタルが始まったらしい。

 

 昼過ぎなのに、すべての商品が貸し出し中だった。特典付きブルーレイセットも1万円以上の値段で売られていた。かなり強気な値段設定だ。それだけ販売側は自信があるのだろう。

 

 その後、2件のレンタルビデオショップを回ったが、どちらの店でも「君の名は。」は全てレンタル済みだった。よく考えれば、学校はもう夏休みなので、開店いちばんで子供たちが借りて行ったのかもしれない。すさまじい人気だ。

 

 私が、初めて「新海誠」の作品に触れたのは、15年以上前だろうか。記憶は定かではない。

 

 ある日、家電量販店を歩いていて足が止まった。モニターに映し出される店頭デモの映像に釘付けになったからだ。テンポの速い音楽とそれに連動する短いカット割りのムービー。
 「イース2 エターナル」というテレビゲームのオープニングムービーだったと思う。

 

 それから数年経って、いつものように、私は映画をVHSで観ていた。

 

 ご存知の通り、映画の前には予告編がいくつか付いている。その中の1つに、『中学生のカップルが宇宙と地球に引き裂かれる』という内容のアニメが入っていた。なんでも、女の子のほうは宇宙軍に入ってパイロットになり、異星人と戦うらしい。

 

 「また、美少女がロボットに乗る話か……」と私は思った。ただ、「私たちは、たぶん、宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初の世代だ。」というキャッチコピーだけは憶えていた。


 数日後、友人と映画の話をしている時に、「おい、『ほしのこえ』っていうアニメ知っているか? たった1人で造ったらしいぞ」と聞かされた。

 

 たった1人で?

 

 アニメとは、アニメーターが机を並べて、鉛筆でカリカリ書いていると思っていた私は驚愕した。その後、「ほしのこえ」を手に入れてきて見たはずだ。あまり憶えてはいない。ただ、「1人で造った」というのは間違いで、音楽と女性の声は知人の力を借りたらしい。

 

 それから数年後、「雲の向こう、約束の場所」という映画を偶然見た。90分1本の本格的なアニメーション映画で、モノローグの美しさとカメラワークに惹かれた。内容はハードなSFだったと思う。音楽も素晴らしく、OSTをCDで買って繰り返し聞いたのを覚えている。

 

 第3作目は「秒速5センチメートル」だった。DVDのパッケージに載っていた登場人物一覧には、私の本名と同じ名前があった。「秒速~」は1本約20分のアニメを3本繋いだ映画で、1本目のタイトルは「桜花抄」だった。

 

 「抄」!

 

 こんな漢字を使うアニメーション監督が今までいただろうか。たいていのアニメ監督は、オタクを厭いながらも自分もオタク、という人物だった。教養など微塵も感じさせない監督が多かった。

 

 「秒速~」を観た。

 魂を抜かれたような気がした。

 

 理屈の上ではハッピーエンドだ。

 だが、細密な美術と切ない音楽と、両者の絶妙な調和で、観客の心を破壊する映画だ。

 なんという名前の監督だろうか、と思って、私はDVDのパッケージを見た。

 

 「新海誠

 

 あの「ほしのこえ」や「雲の向こう、約束の場所」を作った人か!

 

 それ以来、「新海誠」と「秒速5センチメートル」は私にとって絶対的な存在になった。インタビューを探しては読み、無理してDVDを買っては、それについている特典映像を観た。

 

 どういう事情があるのか知らないが、あるインタビューによると、「新海誠」はロンドンに留学するらしい。しばらくしてから「新海誠」のホームページを見ると、なぜか中東で大学生をしていた。

 

 帰国してから「新海誠」は、今までとは全く違う作風のアニメーションを作り始めた。私はそのポスターを見た。その瞬間に「まずい!」と思った。
 私のポスター勘はよく当たる。
 やはり、その映画は不評だった。

 

 口うるさい映画好きや、アニメファンからも叩かれた。「グロテスクなパッチワーク」なんて書いている人もいた。私もその作品は見ていない。

 

 それから暫く、「新海誠」はCMやテレビゲームのオープニングムービーを作っていた。もしかしたら経済的に苦しかったのかもしれない。

 

 もう映画は作らないのではないか、私がそう思っていた矢先、「新海誠」の新作が公開された。

 

鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

  返歌

鳴る神の 少し響みて 降らずとも我(われ)は留らむ 妹(いも)し留めば

 

 万葉集に載せられたこの一組の歌をもとに作られたアニメーション映画が、「言の葉の庭」である。

 もともと、映像美に定評のあった「新海誠」がその技術を究極まで高めたのがこの作品だ。私はそのトレーラーをYoutubeで観た。PCのディスプレイから、水気を含んだ風が吹き出してくるような錯覚に襲われた。呆れと驚嘆が入り混じったため息が私の口から洩れた。いまでも世界一美しいアニメだと思っている。

 

 多分、私が映画をブルーレイで初めて見た作品がこれだったかもしれない。「新海誠」は戻ってきた。もとの作風に戻ってきた。

 

 私は喜悦した。

 

 しかし、一つ変化に気が付いた。今までの「新海誠」作品において、主人公は、ただ運命を嘆いて彷徨うだけの男だった。ところが「言の葉の庭」では、愛する女性のために、喧嘩をすることも辞さない男に代わっていた。

 おそらく、「新海誠」の私生活に何かあったのだろう。結婚したか、子供ができたか、会社を作ったか、何か他人の生活を背負うような立場に就いたのかもしれない。


 
 「君の名は。」はまず、トレーラーで観た。私が知っている「新海誠」作品とは変わりながらも変わっていない、と私は感じた。


 実際は分からない。

 
 私は「君の名は。」を観ていないし、これから観る気もないからだ。

 

 「君の名は。」の興行収入は信じられないほどの金額まで到達した。
 まるで種子島から打ち上げられたロケットのようだった。
 私は茫然としてそのロケットを地上から見上げていた。


 私は今日買った特典付きブルーレイの「君の名は。」を開封もせずに、クローゼットの中にしまっておくつもりだ。

 ただ、私が『ちゃんと幸せになれた』なら愛する人と共に見るかもしれない。

 それまでは、こう言うしかない。

 さよなら、「新海誠

  

 

 

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