芝原岳彦の獺祭

一つのテーマについて小説と映画をセットにして語りたいと思います。

男のナルシズム「アメリカンスナイパー」

映画好きの間では、ポスター勘、というオカルトめいた感覚が信じられている。

ポスターを見た瞬間、直感的に何かを掴める、という迷信だ。
私も、過去に2度、そういう経験をしたことがある。

 

1件目が、新海誠監督「星を追う子供」だ。
ひと目見て、顔を背けた。

予想通り、この作品は新海作品の中では大変な不評作だった。


もう1件、嫌な予感がしていたポスターがある。クリント・イーストウッド監督「アメリカン・スナイパー」のそれだ。

そのポスターは、主人公の姿をやや斜め後ろから撮った写真の前に星条旗がたなびいている。


この「やや斜め後ろ」というのがまずい。
「男の後姿」というのは、男のナルシズムの象徴だからだ。

 

長い間、この映画を敬遠してきた。もし私のポスター勘が当たっているなら、きっと不快な気分になるだろう。
強烈なアメリカニズムにゲンなりして、深い溜息をついて終わりだ。
ただ、外れる可能性だって高い。観るのもいいかもしれない。


そう思った私が馬鹿だった。

やっぱりこの映画はそうだった。

(以下、ネタバレになるので、ご注意ください)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極めて父性的な父親に育てられた主人公は、成人して軍隊に志願する。そしてあの「世界一バカげた戦争」、イラク戦争に参加する。彼は女・子供を含めた160人を射殺し、アメリカ軍の英雄となる。その後、アメリカに帰還してもPTSDに苦しむ。しかし戦争に取りつかれた彼は、まるで中毒にかかった様に出征し、戦闘を繰り返すが、しっかり平和で豊かなアメリカに帰還する。最後は事故のような死に方をする。


どうです? げんなりでしょ?

 

主人公は、戦場に行くなり、小さな子供と女性を撃ち殺す。爆弾を持っていたからだ、というのが理由だが、"なぜ小さな子供と女性が爆弾を持つまでに追い詰められたのか”は一切描写されない。

 

ライバルのスナイパーも登場する。その人物も"何故、世界最強のアメリカ軍相手に、スナイパーをやっているのか”描写はされない。

 

そう、この映画は、アメリカ側の都合しか描かれないのだ
主人公がPTSDに苦しんだ?
そんなことは「殺された側」に取っちゃ知った事じゃない。「殺す側の論理」なんか、殺された人々には関係がないのだ。

 

まともな戦争映画なら、殺された側の都合も描いただろう、だがこの映画は徹頭徹尾、アメリカ側の事情だけだ。

それだけでもアレな映画の資質は十分だ。

 

だが、根本的な問題として、アメリカ戦争映画には構造的欠陥がある。


それは、アメリカは自国内で近代的な戦争をしたことがないという事だ。


通常、戦争は第一次世界大戦を境に大きく変わったと言われている。
いわゆる総力戦だ。


戦争は軍隊だけがするものではなく、社会全体の総力で行われるようになった。
当然、戦争の攻撃対象も、その軍隊の背後にある社会全体にまで広がった。

兵器も大きく変わった。


毒ガス・戦車・航空機などが大量に使用された。
第一次世界大戦では、戦死者900万、戦傷者2200万、非戦闘員1千万人が死んだ。

 

一度、近代的な戦争をすると、どの国も戦争について消極的になる。
やったとしても限定的だ。


なぜなら、忌まわしい戦争の記憶が人々の心に植えつけられ、戦争について消極的になるのだ。
実際、あれだけ好戦的だったヨーロッパの国々が、2度の大戦で大人しくなった。


ところが世界に一つだけ例外の国がある。
それがアメリカだ


アメリカは国内で近代的な戦争をしたことがない。
行われた戦争は、アメリカ独立戦争南北戦争真珠湾攻撃の3つだ。
前者2つは近代的戦争ではないし、真珠湾攻撃準州へにある軍事施設への攻撃だ。

 

アメリカは、近代的な戦争で、国土が荒廃した経験があるだろうか?

サン・フランシスコが日本軍空爆され、ニューヨークがナチス・ドイツとの市街戦のすえに廃墟となり、シカゴにソ連の核爆弾が落ちた経験があるだろうか。

 

もちろん、ない。

 

アメリカにとって、戦争とは遠い外国で行われ、兵士が死に、傷ついて帰ってくるものなのだ。
決して愛する祖国が廃墟になり、家族が敵国の軍隊に殺される事ではないのだ。


かつての日本も同様だった。

 

日本の近代は戦争の連続だった。
日清戦争日露戦争シベリア出兵第一次世界大戦日中戦争、みな日本の国土以外での戦争だ。
国民もインテリ達も戦争を支持した。

 

日本が反戦の国になるのは、太平洋戦争で国土がめちゃくちゃになった後の事だ。
だれしも、自分が当事者にならないと、他人の苦しみなど分かりわしないのだ。


アメリカン・スナイパー」の主人公は、戦場でどんなにひどい目に遭っても、豊かで平和なアメリカに帰ることができる。
愛する家族も待っている。

 

だが、アメリカにめちゃくちゃにされたイラクの人々はそうではない。
祖国は灰燼に帰し、家族を殺された人も多い。

アメリカ人が一度も経験したことのない悲劇だ。

そんなアメリカの欠点を煮詰めて煎じた映画が「アメリカン・スナイパー」だ。

 

でも、でも、でも、

 

反論したくなる人もいるだろう。
だったら分かり易いようにたとえ話をしてみよう。

この映画の「アメリカ」を全て「日本」に置き換えて考えてみよう。大義なきイラク戦争は、日中戦争に置き換えてみよう。
芝原岳彦監督「ジャパニーズ・スナイパー」だ。

 

山陰の寒村に生まれた田吾作は、家父長的な父親に、「日本男児たるもの、軍人になれ」と言われて育つ。お国のために人生を捧げる決心をした田吾作は、徴兵検査に合格。狙撃手として訓練を受ける。
休暇中には、立ち飲み屋でゲロを吐いていた女、おかめと出会い、子供も設ける。
時あたかも日中戦争真っ最中。
中国戦線に派遣された田吾作は、狙撃手として、中国国民党の兵士だけでなく、中国の女・子供まで撃ち殺し、その数は160人になる。彼は日本軍の英雄としてあがめられ、故郷に錦を飾るが、戦争の魔力に取りつかれた田吾作は、その後何度も中国戦線に出かけ、何人もの中国人を撃ち殺し、PTSDに苦しめられる。
最後は、とんでもない事故で命を落としてしまう。
彼のひつぎには日の丸が巻かれ、英雄としてまつられる。

 

どう? うんざりするでしょ?


戦争は相手がいてするものだ。
相手には相手の都合がある。
相手には相手の命と人生がある。
そこに想像力を働かせなければならない。


そうじゃなければただの自分勝手な自己陶酔だ。
つまりナルシズム。
しかも戦争と結びついた最悪のナルシズムだ。

そのナルシズムを究極まで高めた映画「アメリカン・スナイパー

それでも、これが名作映画に見えますか?

 

 

 

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)