ペルソナ5と民主主義 -オルテガの視た未来-
ちょうど一年ほど前、私は小説を書いていた。
それに飽くと、車に乗って、街中の本屋をさまよった。
ある本屋の中には、小さいながらもCDコーナーがまだ置かれ、
その中の、さらに小さなスペースが、家庭用テレビゲーム売り場になっていた。
音楽もテレビゲームもダウンロード販売の時代である。
実店舗めぐりが好きな私には、そんな極少の売り場でさえ僥倖だった。
ちょうど新作ゲームの発売日だったらしく、モニターにはティーザーが流れ、パッケージが一つだけ置かれている。
確か8,000円ほどだったろうか、財布の中に珍しく10,000円札が入っていた私は、何気なしにそのゲームを買った。
「ペルソナ5」
という名のゲームだ。
なんでもシリーズ30周年記念だそうだ。
私は10年以上も家庭用ゲームをしていなかった。
引越しをして新しい仕事慣れるのに必死だったからだ。
ブルーレイプレイヤー代わりに買ったプレイステーション4をクローゼットから引っ張り出して、プレイを始めた。
止まらなくなった。
ちょうどシルバーウィークの頃だっただろうか。気が付くと10時間くらいたっていた。
このままだと、生活の差しさわりが出ると思った私は、セーブデータだけ残して、ゲームをしまっておいた。
そのくらい中毒性が高いゲームだった。
テレビゲームというのは極めて簡単な遊びだ。
その原理原則はゲーム創成期から変わっていない。
グラフィックや音楽、操作性といった装飾品をはぎ取れば、昭和のパチンコにも似た単純な仕組みが現れてくる。
要するに、ゲームというのはプレイヤーに以下の行動を擦り込むことにある。
快楽 → 負荷 → 緊張 → 報酬
これの繰り返しである。
グラフィックや音楽に惹かれ(快楽) → 試行錯誤しながらゲームを進め(負荷) → 戦闘や競争のスリルがあり(緊張) → レベルアップやトロフィーコンプがある(報酬)
これは開発に数年かかる据え置き型ゲームや、昨今、社会問題化しつつあるコンプガチャなども変わりはない。
おそらく、薬物依存や万引き依存とも変わりはないだろう。
ゲームは心理学の範疇なのだ。
痛い「クリエーター」が言うように、クリエイティブがどうのという話ではないし、頭の悪い学者が主張するように、脳ミソの話でもない。
今年、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーが、経済学者というよりも心理学者だったことは、巨大産業化したゲーム業界のあり様と無関係ではないだろう。
- 作者: リチャード・セイラー,篠原勝
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しかし私が「ペルソナ5」で注目したのは別の点だ。
脚本である。
ペルソナ5はRPGだ。
要するに、悪いドラゴンをやっつけ、理想的な配偶者を得て、英雄として帰還する物語。
この人間の深層心理に染みついたひな型が世界中の神話や伝説に反映されていることは、賢明な読者諸氏に説明する必要もないだろう。
問題は何を「悪いドラゴン」とするかである。
それは時代の流れと社会の変遷を象徴する。
身近な「悪いドラゴン」は、セクハラ教師であり、盗作芸術家であり、ブラック企業の経営者であり、悪徳政治家であろう。
場合によっては、自分の分身であったり、気まぐれな自然神だったりする。
「ペルソナ5」において「悪いドラゴン」は、『大衆』である。
大衆は、民主主義が制度化され、情報伝達技術が庶民のレベルまで広がったことによって起きた現象の名称である。
大衆の発生は20世紀最大の事件かもしれない。
- 作者: オルテガ・イガセット,Ortega y Gasset,神吉敬三
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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1929年にスペイン語で書かれたこの書物は、
「19世紀はマルクスの『資本論』によって、20世紀はオルテガの『大衆の反逆』によって代表される」
とまで評された歴史的名著として、いまでも世界中で読まれ続けている。
「ペルソナ5」の主人公たちは平凡な日常を送る若者たちだ。
彼らは、大衆によって持ち上げられ、大衆によって叩き落され、最後に大衆の象徴を破壊して、日常に帰還する。
これは、見事に神話のひな型をなぞった脚本であり、有史以来人類が紡ぎ続けてきた物語と寸分たりとも異ならない。
またこの事実はこの作品の価値を全く毀損しない。
ひな形どおりの作品を魅力的に仕上げるのは極めて難しい。
ひな形どおりの作品が嘲りを受けたならば、それは作者の力量不足が原因に他ならない。
本、新聞、テレビ、インターネットの順に、情報伝達技術は進歩を続けてきた。
それにともない大衆の発生場所も、路上からお茶の間、そしてネットの海へと変わっていった。
しかし大衆の本質は、発生場所にあるわけでも、個体としての人間の資質にあるわけでもない。
集合無意識としての大衆は、物理的な形をとる必要もなければ、大衆人という自然人がいるわけでもないからだ。
その大衆が、選挙という方法によって、強制力を持った権力に形を変える。
これが民主主義というシステムだ。
ちょうど今、衆議院選挙の真っ最中だ。
選挙を行う方は大衆をどうあやつるか腐心し、大衆の一部たる国民たちは、自分の意識の一部が、強大な権力になることも知らずに投票するのだろう。
新聞を読むよりも、テレビゲームをやった方が物事の本質を突けるのかもしれない。
あ、ヒロインは真ちゃんだと思います。絶対。
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